110丁目シネマ交差点

Across 110th cinema street is my hell of tester

ジャッキー・ブラウン(1997)

 どーも。砂漠の星とは言わなくともドを超えてレミファくらいな(不要な駄文)田舎に暮らしている新社会人、Cosmo-Nです。

 

これからこのブログで映画について思ったこと残しておきたいことなどを書いてくつもりです。

 

ただ、住処が田舎すぎて映画館が遠いのでろくに新作映画(特に公開規模の小さいもの)が見れない環境であるのに加えて、現在の世の中が公開延期のオンパレードな感じなので、主に過去作について気ままかつ雑記的に書いていこうかなと思っています。

 

初回はこのブログ名の元となった楽曲、『110番街交差点』が使用されている1997年のクエンティン・タランティーノ監督作品『ジャッキー・ブラウン』について取り上げます。

 

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ジャッキー・ブラウン

1997年 アメリカ 154分 

監督・脚本:クエンティン・タランティーノ

【あらすじ】

スチュワーデスのジャッキー・ブラウンは、かつて前の夫である機長と麻薬を運んだことがばれたせいで大手航空会社への再就職ができなくなってしまい、メキシコのしょぼい航空会社で働きながらアメリカの密売人オデールに麻薬を運ぶ副業をしていた。ジャッキーはひょんなことから逮捕され、捜査官レイにオデールの逮捕に協力するよう強要される。オデールが証拠隠滅のために自分を消そうとしていることを知ったジャッキーは、自分の保釈を担当したマックスと共犯関係を結び、オデールやレイをあざむいて大金を手に入れることを目指す。

 

[目次]

  1. タランティーノ作品の中でも地味な1本?
  2. 『卒業』(1967)と比べて見えてくる「今後への不安とセカンド・チャンス」というテーマ
  3. そのほか備忘録

 

1.タランティーノ作品の中でも地味な1本?

 今回ブログを始めるにあたって、初回はやっぱり好きなタランティーノ作品から選びたいなぁと思ったんですが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』までの9作品を振り返ってみて『ジャッキー・ブラウン』をたいして見返してなかったことに気付き録画したBlu-rayを引っ張ってきました。

 

というのも初見時の自分は『ジャンゴ 繋がれざる者』と『パルプ・フィクション』の二本で「タランティーノおもれ~」となったボンクラ大学生だったため、当時BSでたまたま放送するからという理由で見た自分にとって3本目のタランティーノ作品としては、正直地味な作品に思えたんですよね。

 

正直世間的にもそこまで注目されてないように思える1本だし、それは例えば本作以前の長編監督第1作目『レザボア・ドッグス』ほど男臭くバイオレンスではなく、2作品目の『パルプ』ほど時間軸も入り組んでおらずファッショナブルな立ち位置を持っていないってとこに表れている気が。

 

自分もきちんと勉強しているわけではないのですが、往年のブラックスプロイテーションへのオマージュをささげた一本という割にはジャッキーが派手にアクションするようなシーンは感じられませんですし。

 

ただ今回見返して、よく言われるその後の『キル・ビル』や『イングロリアス・バスターズ』で見られる「クソ野郎どもを出し抜く強い女性」という存在の先駆けという要素が目に見えてグッときましたし、

何より、タランティーノが現在感じていると言われており、タランティーノが絶対大好きな(気がする)『卒業』(1967)でも描かれていた「今後への不安」というものを、主人公ジャッキーも口にしていることから、タランティーノ作品の中でもめっちゃ重要な1本じゃんと思ったのでここに書き残しておきたいと思います。

 

2.『卒業』(1967)と比べて考える「今後への不安とセカンド・チャンス」というテーマ

有名な話ですし見れば1発でわかるのですが、『ジャッキー・ブラウン』のオープニングはまんま『卒業』へのオマージュです。『ワンハリ』でも『卒業』の挿入歌『ミセス・ロビンソン』が流れたのでタランティーノは『卒業』大好きなんだと思います。

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『卒業』の主人公ベンジャミンは大学を卒業してから実家に戻るも、目標を失って漠然とした将来への不安を感じているキャラクターです。

ジャッキーも同様に老いやこれからの人生への不安を抱いており、それが彼女を一世一代の勝負そして輝かしいキャリアへと返り咲くセカンド・チャンスに駆り立てる動機となっています。

また不安とは違うかもですが、マックスもジャッキーと出会った夜のある出来事から、今の仕事を辞めようかと思っています。

 

またこれはこじつけに近いんですが、『卒業』でのベンジャミン×ヒロインのエレーン、ベンジャミン×エレーンの母ロビンソン婦人という二つの男女関係は、『ジャッキー・ブラウン』でのマックス×ジャッキー、オデールのポンコツな相棒ルイス×オデールの愛人メラニーという形で対になってる気がします。

いや、二つの関係の内、前者が共犯的関係で後者が退廃的な体まかせの関係という点で同じ気がするのであながち間違ってないかも・・・

 

閑話休題

 

とにかくこうした点で『卒業』は『ジャッキー・ブラウン』に大きく影響を与えている一本だと思うんですが、両作品で描かれた「これからの自分に対する不安」というのをタランティーノも感じているという話を、町山智浩の映画ムダ話143 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で聞くことができます。

 

 それによるとタランティーノ自分の作る作品がノスタルジアに根差したものであることについて、過去を志向するものが今の世の中に受けるのか、という不安を抱いているんだとか。

 

これを聞いたときは( ´_ゝ`)フーンイガイくらいに思った発言も『ジャッキー・ブラウン』を見ると、これ1997年の段階で語ってたよ!!タランティーノ語ってたよ!!とびっくりしました。

 

これは完璧に僕の妄想空想チラシのウラにでも書いてろなあれですが、『パルプ』でカンヌ獲った→当時の世の中に大うけしたという時からすでに「これからも同様に自分のノスタルジアのままに作った作品は評価されるのかな・・・」と感じていたのかな・・なんて憶測してみたり。

 

かねてから映画は10本までしかとらないと言っているタランティーノは、その後は舞台に手を出すとか言われてますが、それは彼が19997年に描いたキャラクターが抱く「人生のどこかで、そのときの自分に区切りをつけて新しい道を探そうか」という思いと繋がっている、のかもしれません。

 

そんな風にタランティーノが抱く心情の一遍がもしかしたら登場人物に表れている『ジャッキー・ブラウン』、ぜひ『卒業』とともに見てみて下さい。

 

3.そのほか備忘録

 ・映画を見ながらストリーの節目節目を書き起こす「逆箱起こし」というのをしたところ、『ジャッキー・ブラウン』でのマックス×ジャッキー、ルイス×メラニーの男女関係の比較描写がめっちゃスマートに構成されている!と感嘆したのでここにも載せたいと思ったんですが、ブログにExcelとかの貼り方が分からなかったのでできませんでした。単なる徒労ではないけど哀しい。

 

 ・タランティーノ作品の見どころの一つは直選のサントラにありますよね。

ジャッキー・ブラウン』の中で僕のお気に入りは、ジャッキーとマックスの出会いで流れる『NATURAL HIGH』、メロウな『INSID MY LOVE』、そしてブログの名前にも採用したOPかつED曲『ACROSS 110th STREET』。

録画したBSプレミアム版しか見たことがないのでソフト版がどうかはわからないけど、EDの方だけ歌詞の和約が出るのが粋。というか英語ができない自分も悪いんだろうけどどの映画も挿入歌流れるときは極力和約が欲しい。

 

あとやっぱりタランティーノは10本で監督やめるとか言わずに映画を撮り続けて!!!!!!!!!!!!!!!

 

こんな感じで気が向いたときにブログを更新したいと思います。

ここまで長々と読んでいただきありがとうございました。